三国志を読んで。〜From Cao Cao to Zhuge Liang〜
30時間から40時間ぐらいかけて、ようやく完読。
本当に長い旅を終えたような気分。
Kindleでバラバラで買えば無料だったと思うけど、
やっぱ1冊だと便利なので、おすすめなのは下。
この本についてわざわざ書く必要のない気が、むんむん、むんむんするけど…
書きましょうかね。書きたいからね。
一番感じたのは、「自然に対する人間の小ささ」かな。
っていうかむしろ自然の大きさ。自然には勝てないから、勝負せずにいかに自然と共存するのか。っていうのを今後考えていきたいな。
「事を謀るるは人、事を成すは天」っていう確か孔明が仲達・魏延を殺し損ねたときの言葉もそれを含まれてますね。
ってことで今後は天にも自然にも逆らいません。
そしてやっぱり人間の人間くささ。
約束を守る事、すぐ動く人・動かない人、人の言う事を聞く人・聞かない人、聞くとき・聞かないとき、なにかやるときの理由のこじつけ、感情を表に出す事の善し悪し…
「負けても死ななければ勝てる」、最近よく聞く「やり続ければ失敗ではない」みたいな言葉もあり、やっぱり時代だったり人間は繰り返すんだなってことも確認できたり。
最後らへんの蜀の人材不足さ…孔明ともあろうものが、中の人材を育てることのみで、周りに人材を求めにいったり、知人辿ってとかってならなかったのはなんでなんやろ…
性格的に誰かに頼ったり、弱い面を見せたりってのは難しいかったのかな。
そういうのを見ると完璧な人間ってのはいないのかな。ってすっきりしたり。
漫画でも思ったけど、やっぱり月並みでも趙雲で、
阿斗を助けた、長坂橋での話。
玄徳が阿斗を投げたっていう行為もやけど、それに対しても、
「肝脳地にまみるとも、このご恩は報じ難し」って思えた趙雲の感じ方。
これは趙雲だけに限らず、この物語に描かれている多くの人物に共通するところ。
これをすごいなーばかだなーと思いながらも、すごいなーかっこいいなーって思う。
さーっと振り返ったけど。
うん、30時間以上かけても全然いいお話しでした。
いい旅でした。
皆さんもぜひ。
でわーん。
センスについて。~like experience~
はい、またしても結論から。
センス=経験だと。
つまり、たまに聞かれるワード、「いいセンスしてるね。」これ。
「いいセンスしてる」ってのは、そのまま「いい経験積んできてる」っていう言葉に置き換えて差し支えない、というよりもしっくりくるのかなと。
例えば、服のセンス、仕事に対するセンス、スポーツに対するセンス。さらに言えば単純にセンスがいいって言葉。
これら全部、その対象に対して、
いいものを見てきてたり、
その中で羽生さんの直感力の話。
「直感力」羽生善治著。
これなんかまさに、将棋という世界を極めてきた(いい経験をしてきた)第一人者が、その経験に基づいて生まれる直感力(センスのいい選択)の有効性について書かれている本。
羽生さんなんか本当に、ある分野についていい経験をしてくれば、それを応用してあらゆる分野にも話しを展開しつつ、自分の得意フィールドに持ってこれるよ。
っていう典型的な、素敵な、うらやましいほどの経験を積んでいる方。センスのいい方。
まぁ羽生さん羨ましい!ってよりは、みんな素敵な経験を積みましょー
そしたら素敵なセンスが身に着くんじゃないのかなー
っていう自戒を込めた、ポストでした。
でわーん。
宗教について。〜with religion〜
宗教に関して結論から言うと、
人間なにかしらの宗教を信仰してるというのが僕の意見。
日本にいると、宗教と言えば、キリスト教やイスラム教、仏教といった宗教よりも、
創価学会や、幸福の科学って言ったちょっとマイナスのイメージのあるものや、
まぁどちらにしろ完全にマイナスな意味で耳にすることが多い。ってかほとんどかな。
で、今はインドで。そして少し前は香港で、宗教について考える機会があったんで書いてみようかなと。
まず、冒頭に書いたように、僕は誰しも何かしらの宗教を信じてるっていうのが基本スタンス。
そこでなにを信じてるの?って言われてもすぐ出てこないのが悲しいけど。
例えば、僕は読書好きで、旅行好きで、サッカー好きで。
例えば、読書だったり旅行やサッカーを否定されると、悲しくなるし、多分ムキになってそのよさを語ったりするのかな。普段は普通にこれらは自分にとって正で、自分のそばに存在していることが普通で、当たり前で。これってある種の宗教みたいなものかなと。
ジャニーズだったり、AKBだったり…っていうのは極端な例だとしても、
コンサート会場、スポーツイベント、観光地みたいに人がたくさん集まるところ。
誰か特定の人物だったり、その空間自体が神聖化されたような状態に普通になってる。
普段の生活の中でも、TVで誰か素敵な人が出てきたときや、この店は素敵な物が売ってるんだよねってことだったり、あそこの公園は素敵な場所だよねっていうところまで。
日常、何かしら心の支えと言うか、意識しないまでもそういう存在に囲まれてるんじゃないのかなっていうことで。一種のアニミズム的な感じかな。
自分を信じてるっていうのも全然ありだと思う。
っていうか僕も結構そういう立場かな。
3ヶ月ぐらい前に。
香港の公園で読書してたときに、キリスト教徒の高校生2人に話しかけられて。
3時間ぐらい英語で宗教について話してて、面白かったんだけど、
最後らへんで、「じゃあ、なんのために生きてるの?」って聞いたら、
即答で、2人とも声を揃えて、「神のため」って答えられたときには、
あまりに衝撃的すぎて、何回も聞き直したけど、何度も真面目な顔で「神様のため」「イエス・キリストのため」って。そういうものなんだなと。
話しを続けることはできず。
インドでは、そういった具体的な話しではないけど、
普通のスーパーでは、牛も豚も売ってないし、道ばたに牛も豚も歩き回ってるし、ターバン巻いてひげを生やしてっていう人もそこら中にいるし、すっごいスラム街みたいなところにも立派な寺院みたいなのがあるし…なんか日頃から宗教ってものをほんとに具体化して見える生活を送ってる。
で、最近思うのは、こういった具体的な神様の信仰っていうのは、貧しかったり、恵まれてないことへの言い訳になりかねないってこと。
これに関しては、ほんと最近思い始めたことで、あんまり整理がついてないことやけど、宗教=思考停止、神様の教えでは…とか、全ては神様が考えたことで…とか…
勝手な想像でしかないけど、1つの神を信じるという世界のスタンダードとはかけ離れた考え方かもしれないけど。
僕は、日頃日常なにかしら、1つではないものを信仰してるのかなと思うのが今現在の自分の宗教観。
明日には変わってるかもしれないけどね。
うん、宗教って絶対一言では言い表せないし、一生かかってもいろんな宗教のことをマスターできないだろうけど、少しずつでも学んでいけたら面白い、奥が深いものですね。まだ欧米の宗教観にも触れたことがない時点でこれだからね。
今後どういう方向に向かうことやら。
そして、全く違う環境で育ってきた人からそういう話しを聞くのも面白いし。
日本では宗教の話しをするのは、タブー視されてるけど、こういう話しもできたら、絶対世界観広がると思うけどなー。時間の無駄になる恐れも多々あるけど。
とか言いながら、宗教関係の本、これしか読んでなかった…
結論としては、
宗教って面白いよね。多分。ってことで。
でわーん。
インドの交通事情。〜in chaos〜
そこら中に、神様(牛)がいらっしゃいまして、時々通行のお邪魔をされております。
神様である牛や、汚いとされてる豚、あと狂犬病の犠牲者ダントツ世界一位に栄光をインドにもたらしている犬、あとなぜかリスとかがそこら中にいて、そこら中で動物園気分(特に匂いの部分)を味わうことができます。
そんなインドの交通事情。(デリー Delhi・グルガオン Gurgaon近郊のお話。)
意外と便利。
まず、オートリキシャってのとリキシャ。
これはアジアの色んな国にあるトゥクトゥクみたいなもの。
オートリキシャは、電動3輪車。
大体普通のところで100Rs払えばどこでも連れてってくれる感覚かな。
夜だと若干プラス。
んで観光地とかだと200Rsとか。
基本メーター使わずに交渉ってのが普通。
まぁメーター見たら、10km以上走ってて100Rsを超えてない感じ(見方が正しいかわかんないけど…)だったんで、まぁ通常なら50Rsから交渉してMax100Rs払っとけば、無問題ってところかなと。
まぁ実際は一番色んな問題出てくる乗り物だと思うので、お楽しみください。
ショッピングモールの乗っちゃいけないゾーンで乗ったら、車体を木の棒で警官に殴られたり、運転手が文句言おうとしたら4〜5人の警官に囲まれて、更に車体殴られたりとか。
基本信号とか、車線とかない感じなので、常にスリルと隣り合わせ。
クラクションの嵐。たまに車体ぶつけ合ってるし。
運転したくない(できない)国ナンバー1に認定です。
次はリキシャ。
ちょっと大きな三輪車。
これは20Rsとかからなのかな。乗ったことはありません。意味ない気が。
んで、バス。
…ほかにきれいな車体もあるけど、いちおこういうのも普通に走ってます。
方向だけ確認して、その方向のに乗っちゃえば、中にいるチケット売ってる人だったり、他の乗客の人がどこで降りればいいとか教えてくれるんで、意外と便利。
30Rsかかんないぐらいかな。
最後メトロ。最後はあんまインドっぽくないです。
きれいだし、いちおマナーはちゃんとしてるし、電車は時間通りに来るし。
でも、子供が小便漏らしてたり、過剰な女性専用車両とかあったりもするけど。それはまぁご愛嬌。
手前に持ってるコインをSuicaみたいにタッチして、入場。退場時はコインを入れて出るって感じ。システマチック。インドじゃない。デリー〜グルガオンでも30Rsかかんないぐらいかな。売り場では普通に抜かしてくるので、前の人とは強気の姿勢でゼロ距離で。
いちおSuicaみたいなカードもあるけど、そんな滞在しないなら必要ないかな。
入場前に、インドでおなじみ持ち物&身体チェック。
男女わかれているのでご注意を。
あ、メトロまで行くのも、降りたあとも大体オートリキシャがうろついてるので心配はいらないです。(夜は若干怖いけど…あと、お金も少し盛られます。)
それなりの観光地だったり駅だったら、すぐ取り囲んでくれますので。
オートリキシャとか乗るなら服とか鞄、砂だらけになるんで洗いにくいお気に入りは避けた方がベター。インドの空気の悪さは異常。中国なんか目じゃないというお話。
乗り物(特にオートリキシャとバス)乗るだけでも立派な観光気分味わえますのでぜひ。
と、まぁだらだら書いてきましたが、
太田英基さんが書いた、
初めてインドへ旅立つ人へ11の心構えと、移動手段別アドバイス。~騙されたくない、ボッタクリに遭いたくない、インドを楽しみたい人達へ捧ぐ~
http://samuraibp.com/column/first-india-trip
を見たら一発だという悲しい結論で。
でわーん。
福岡に住むという選択。〜bed & book〜
インドの生活も残り2ヶ月切りました。早い。
まぁもう残り1週間ぐらいでいいぐらいですけど。
3月に仕事辞めて、4月から、東京→福岡→山口→大阪→香港→大阪→インド…
とドタバタ過ごしてきたんで、ほぼ1年ぶりぐらいに落ち着いて生活する場をそろそろ選ぼうかな。と。
ってことで、今考えてるんですけど。
インド5%、東京15%、福岡75%、その他5%ってのが現状。
なぜインドか。外国で今後可能性あって、刺激的な国。外国ならここかな。
なぜ5%か。いかんせん日本から遠い。そしてやっぱ体には悪そう。空気も水も。
なぜ東京か。3年間住んでみて、なんでもある。物も人も。観光よりは住む場所かなと。
なぜ15%か。特にマイナス面がないのがマイナスって感じ。あ、地震くるしね。
なぜ福岡か。日本の中で九州っていう地域の今後の可能性。まぁ彼女がいるからだけど。
なぜ75%か。ってかほぼ100%なんですが。日本の中で何かしようとした場合、
○○×東京とか、○○×大阪だともう先駆者だったり、それなりの知名度持った人いると思って、福岡なら、他の地域や国からアイディア持ってくるだけでもそれなりのパワーを持てるのかなっていう妄想もありながら。
空港近いっていうものすごいメリットもあり、アジアに一番近い地方都市でもあるし…なんかいいこと尽くめじゃね?っていう感じ。なんかLINEとかもくるしね。
九州、福岡の可能性を信じているわけであります。
まぁ100%のうち、75%ぐらいが彼女がいるからって理由なんですけどね。はい。
さて、福岡住むのかーって想像したときに、
どうせ住むなら面白そうなことしたいなーと思い、話してると、ゲストハウスっていう案が。ゲストハウスっていうか、自分が家借りて、余った部屋を他人に貸すっていうのやれば、少しでも家賃の足しにはなるんじゃないかなと。
Airbnbってやつみたい感じです。
世界中どこでも、予算内で、現地のユニークなお家を借りぐらし
キリンが住む家に泊まれる!? 超人気宿泊サービス「Airbnb」とは?
これを福岡で、日本家屋とかで。んで本好きなんで日本の本の翻訳版いろいろ置いたり。
畳で寝てもらったり。縁側でのんびり。なんかありなんじゃないかなと。
実際色々検索かけてみたけど、そんなに福岡にいい感じのゲストハウスないし、airbnbの登録も少ないし。
福岡ほんとご飯とか美味しい、九州は観光の宝庫やと思うし。
bed & book的な感じでいけるんじゃないかと。
(本家はbed & breakfast。)
さてもう少し、妄想的な想像を広げつつ。
でわーん。
働くということ。〜from zero to one〜
26歳になって2週間ちょいたちますが、今はひたすら働きたいなーと。
大学卒業直前ぶりぐらいの気持ちですね。就職も決まって、ちょうど4年前ぐらいかな。
あのときは、大学生っていう身分で、
数ヶ月後には社会人っていうカテゴリーになって、
九州・山口から東京に出て行くってことが決まってて、
どっちかというと「仕事をしたい!」というよりは、「東京ってどんなとこだろー」「東京の一人暮らしはやばい楽しいだろうなー」っていう気持ちの方がでかかった気がします。
それ以来、3年間東京で働きながら、「働きたくないなー」とか「なんかお金だけ入ってこないかなー」「本だけ読みながら暮らせないかなー」とかなんとか考えながら働いてたなー…
いや先輩とか周りの人とかにも可愛がってもらったり、同期とか後輩もいいやつばっかで面白かったけど、一回リセットさせたいってのもあったり、将来自分でブックカフェやりたい(本を読みながら自分の好きな空間でゆったりしたい)ってのが大きくなり過ぎて。
1年前の12月20日に、先輩に「辞めます。」って言ったんでした。
一回り上の男の人に泣かれたのは初めてで、こっちも泣きそうになったけど。
初めての会社で、社会人で。ほんとにいい先輩に恵まれました。
ありがとうございました。と。こんなところで。
そして今。なにしてるの?ってことなんですが、
とある大阪府のプログラムに参加してて、インドで働いてます。2月まで。
インドっていう面白すぎる国で、男7人同じ家に住みながら、今まで経験したことないような新しい仕事にもチャレンジさせてもらえてるっていう素晴らしい環境。戦力の一人としてがっつり期待もしてもらえてる。
でも、やっぱ期間限定っていう先が見えてる感もある。
常に次の仕事は何しようかってことを考えなきゃいけないっていうのは中々のプレッシャーになりますな。
うん、早く、落ち着いて、必死に、がむしゃらに働きたいな。
んで先のことを考えるにあたって、1冊の本がだいぶ、心に響いております。
と、前書きが長くなったけど、
今日書きたいのは、
堀江貴文氏の著書「ゼロ〜なにもない自分に小さなイチを足していく〜」について。
「はたらこう」の一言で終わる本書。
騒がれていたホリエモンではなく、堀江貴文( @takapon_jp )著。
本当に丁寧に書かれた1冊。
ミリオンセラーを目指すということ、今までの読者以外の層を取り込むためってことで、すごく丁寧に、書かれた本。
ちょっと脚色が入ってる感が溢れてたけど。
著者と僕との違いは、多分そんなに大きくないなって思わされた。その大きくない違いってのが「行動したか?努力したか?」ってこと。
でも結論としてはこれが多分一番大切なこと、そして一番僕に足りてないこと。
「行動しよう。努力しよう。」ということですね。
一生懸命に、努力する対象がないという言い訳はやめにして、
今を一生懸命に行動し、努力しましょー!
でわーん!
インドで初詣行ってみた。〜Taj Mahal〜
「せっかくタージマハルに行くなら、元旦でしょ。」
「何年か前、初詣でタージマハル行ったなーとか、かっこいいよね」
ってことで行ってきました。タージマハル。
グルガオンから車チャーター(4人6,800Rs)して片道4時間かけて。
タージマハル入り口。
早速格差をかいま見ることになります。
入場料:現地人75Rs(定かじゃない…)
観光客750Rs(今日現在1275円)
まぁこの10倍の値段によって上の現地人、行列回避できます。
色々と「ガイドじゃないよ」「俺が並ばない方法教えてやるよ」と寄ってくる人いるんですけど、水とシューズカバーくれる人以外は無視でおkです。
ちょっとバカにしてましたが、でかいし、きれいでした。(いやほんと)
全部大理石…よく作ったなーと。
その時代に生まれて、作らされることがなくてよかったなーと。
でもほんと予想以上に世界遺産でした。
(こっちは世界遺産になってないけど、よく作った&なんで作ったパターン)
まぁインドに来たら行くべきだと思われます。
お約束のつまんだりとか、座禅くんだり、吹き飛ばしたり、抱きかかえたり、色んなバリエーションで遊べる世界遺産。
近くのアーグラ城は同じチケットで行けるんであとに行くといいのかと。
一番の驚き。(下の写真)
タージマハルの中に入るとき、2つの列(現地人と観光客)に分かれてるんですけど、裸足(左)とシューズカバー(右)。
これって10倍の値段分の差別化なんだろうけど…現地人めっちゃ怒鳴られてるし、進む道も決まってるっぽかったし、まぁ安いから文句言うなってことなんでしょうけど、こっちが気を遣うパターンでした。
当初の目的の初詣の雰囲気もなんもなかったけど、
押し売りとか、ラクダ乗りの強要とかインドっぽさも味わえたし、
いい観光にはなりました。